え、オッサンだったの?!


じつはそうなんですスミマセン…て、べつに謝ることはないんですけど、よく「女性がやってると思った」とか「もっと繊細そうな人かと思った」なんて言われるんです。ん〜、ちょっと複雑な気分。そこで、自らをさらけ出すことにしたんです。さらけ出されても困るかもしれませんが、ズバリ、写真の男(犬ではなく)がペコラ編集人です。さて、プロフィールですが…、犯罪歴はなく動物占い(古っ!)は子守熊。キムタク、浅野忠信、 役所広司、高倉健さんなんかと一緒ですよ〜♪以上。しかし、こんなんでいいのかプロフィール?これで注文が落ち込んだら悲しすぎ、どうかお許しをm(_ _)m

 

犬と一緒に産湯につかる

てなことはありませんが、物心ついた頃にはいろんな動物と遊んでいました。野良犬もその辺をあたりまえのようにウロウロしていた時代です。中には「ちょっかい出すと痛い目に合わせちゃるぞ」なんて好戦的な奴もいましたが、彼らなりに人と折り合いをつけて暮らしていたようです。でもやはり野放しは危険。たまに保健所がやって毒饅頭をばら撒いたり、長い竹竿の先に針金の輪が付いた道具で捕獲していきます。ある日、仲良しだった犬も捕まってしまいました。首に輪を掛けられグイグイ引きずられてトラックの檻の中へ。純真で品行方正な幼い少年(ワタクシのことですが何か?)は、「これはぼくのいぬなんれす」とオジサンに言うこともできず、涙と鼻水を垂らしながらトラックの後を追いかけていきました。

どこにでもありそな場面

月日は流れて小学3年生。定期券をぶら下げて約8kmのバス通学でした。放課後の帰り道をブラブラしていると、同じようにブラブラしているチビ野良犬が(たぶん生後半年くらい)。とても人懐っこくてすぐに意気投合、シッポを振り振りとうとうバス停までついてきてしまいました。少年の心は揺れます…@バスが来る+乗る=お別れ、Aバスが来る+一緒に乗る=連れて帰れる、Bサイフ−ワンコのバス賃=ない!、そもそもワンコをバスに乗せていいのか、まで思いが至らないうちにバスは目の前に。一人称と二人称がゴチャマゼですが、そんなこと気にしてる場合ではありません。選んだ答えは@。ドアが開き乗り込む少年、それを見上げる子犬、動き出したバス、走って後ろの席へ。必死に追いかけてくる子犬の姿が眼に飛び込んできます。あの時と反対だな…そんなことをぼんやりと思っていました。1時間後の出来事を何も知らずに。つづく

名前のないチビイヌ

家に着いてしばらく経った頃、玄関の方から「クゥ〜ン、クゥ〜ン」という声がします。まさかそんなこと!?と思いながらドアを開けると、なんとそこに居たんです、あの仔犬が。驚きと嬉しさと不思議さで頭の中はドーパミン大噴射。次のバスに乗ってきたんだと思いました。こいつと結婚するしかないと思いました(オスですが)。あの「名犬ラッシー」と同じなんだと思いました。でもアパートなので飼うことは叶わず、野良犬の立場のまま玄関前に住み付くことに。毎朝バス停まで送りに来て、学校から戻ると玄関前でお出迎え。そんな日々が当たり前のようになった頃、忽然と消えてしまいました。名犬ラッシーだから絶対帰ってくる、そう信じながらも何日も探し回りました。誰かに拾われたのか、保健所に連れて行かれたのか…、結局再会することはできなかったんです。

野良暮らしも大変で

その年に一軒家に引っ越しました(バス通学もおしまい)。これで犬が飼える!少年は鼻の穴を膨らませて近所の庭先を覗き回りました。子犬の物色です。当時はペットショップで買う人は少なく、貰ったり拾ったりするのが普通。また「番犬」を兼ねた外飼いが多く去勢手術も稀です。なので野良犬による出生率も高かったんです。で、なかなか見つからずショボクレかけていた頃、庭に現れた一匹の野良犬。餌を与えているうちにすっかり懐き、成り行きで飼うことになりました。穏やかな目をした薄茶色のメス。「ミミ」と名付けました。野良歴は浅そうでしたが、すでに10歳を過ぎていたかもしれません。父が裏庭に作った小屋と少しの自由スペースが彼女の新しい生活の場。散歩とゴハンと名犬ラッシーごっこがもれなく付いてきました。

遊びまくって奈落の底に

ミミの名犬ラッシー化計画は3か月で挫折。代わりに小さな命がふたつ増えました。少年は「太郎・次郎」と命名。昭和的センス丸出しです。一緒に転げまわり、オモチャのように揉みくちゃにし、こっそりベッドに連れ込んだり、まさにヨロコビ全開シアワセ満開です。ところが、2年が経ち彼らと遊ぶ時間も減ってきた5年生の夏、予期せぬ局面に立たされます。「無駄吠えがうるさい」とご近所からの苦情。やがて父から厳しい選択を迫られることになりました。@貰い手を探し手放す、Aいなければ保健所に渡す、Bもしくは捨てる…それ以外の方法は聞き入れてくれません。きちんと躾けなかったことへ叱責だったのかもしれません。やむなく@に向かって家族全員が奔走しました。でも、すでに成犬の太郎と次郎に新たな飼い主は見つかりません。残った選択肢はふたつ。

サヨナラも言えずに

保健所に渡すと殺される、だから放してやる、誰かに助けられことだって、もしかしたら帰って来ることも…。自分を納得させるための理屈でした。よく晴れた朝、車の後部座席には太郎と次郎、その真ん中に少年。父は真っ直ぐ前を見たまま車を走らせています。彼らと行く最初で最後の片道ドライブです。人家が途切れた山道、車は1時間も経たないうちに停まりました。車から降ろし、数日分の食べ物を置きます。心臓が潰れそうで、涙が吹き出しそうで、目を合わせることも抱きしめることもできません。そっとドアを閉め車がゆっくりと動き出します。二匹はキョトンとしたままそこに佇んでいます。何メートルか進んだ時、突然太郎がダッシュ、すぐに次郎が続きます。いろんなことから逃げるように加速する車。(もういい、もう追いかけるな…)二匹の姿は滲んで歪んだままどんどん小さくなっていきました。

時は流れて

1年後、太郎と次郎の母ミミは他界。それを境に数十年、犬を飼うことはありませんでした。あの日の出来事をずっと引きずっていたのか、それとも興味や関心事が変わっていっただけなのか…(きっと両方)。なんだか犬との回想録のようになってしまいましたが、ペットと人が紡ぐ間係性はとても奥深くて不思議。ゴキゲン顔の犬や猫を見ると、なんだかこっちまで嬉しくなります。飼い主さんとの暮らしっぷりが微笑ましくなります。写真の中にいる見知らぬペットたち、飼い主さんの柔らかな思いも一緒に伝わってきます。いい出会いでヨカッタね、とつぶやきながら制作に励んでいます。

今は「サンタクンタ」というワンコが一緒です。保健所に捕まった仲良し野良犬やアパートを探し当てた仔犬、そして、ミミと太郎と次郎がミックスされたような奴です。

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